入学者の紹介

当校へ入学された方が、どのような思いで、どのような意気込みで、どのような考えで、どんな方が入学されたのか紹介します。

今まで10代から80代までの方が入学されました。

学びには年齢は関係なく、早い遅いはありません。

バックグラウンドも0から勉強する方と医者や薬剤師など専門家コースの勉強者がいます。

当校はいろいろなニーズに合わせてコースを選んでいただけるように豊富なコース、学科を開講しております。

10代 : 大学生                                                                 中医の言葉は中国人に対して、よく知っている言葉そうです。私にとって初めて中医と付き合うのは7歳の時から始まりました。父は自分が子供の時から 中国の武術が大好き、でもその時は家庭の経済の原因があるから勉強をあきらめなければならない。しかし父は私が生まれた前ずっと男の子が欲しいと  思っていました。逆に私は女の子ですけれど、7歳になったら、父に武術を勉強させられました。勉強や訓練の途中はよくある人がけがをした。その時は 先生が手でちょっとマーサッジー見たいのはよくなれました。その時はほんとにびくりした。でもそれだけ。ずっと2年后ある一回おばあちゃんは突然に 腰痛になりました。その時母たちとても心配でした。それで、中医院である有名な医者のところへ行きました。その医者はおばあちゃんの病気状況についてちょっと聞いて、触ってもう診断の結果が出てきました。その時、私が中医について不意議な感じが出てきました。年齢について中医に対して、認識が  もっと多くなて、もっと好きになりました。西洋医学はほんとに早いですけど、中医学のほうはある病気に対する治療の速さが低い。でも身体に対して害も小さいと思います。その上、中国にいる時、いろいろな古代なドラマ見る時、中医よく出てくる。その中の中医も皆なすごく上手な技術を持っているのは自分からとてもうらやましいと思います。そうすると、将来は自分も中医になっていろいろな人に助けたいと思います。

10代 : 高校生                                                                私の夢は、作家になる事ですくわしく言えば、小説などをかくといった事です。理由は自分が書いた話を色々な人々に見ていい話と思ってもらいたいと  思うのです。また自分が人生での出来事をつたえ人生や物事の原理、運命とはどんな存在なのかを人へ伝えそれを理解してもらいたいと思います。     なぜかは人はかならず何らかのかたちでつらい目やもしくは病気などになりひどい場合、死んでしまう人もいますそういった場合人は死をうけいれ     なかったりなぜ病気になったのだろうと自分をうらむ者もいる。そんな人たちへ死も病気もすべては意味あっての事でおこった事すべては運命であり   きまっていたのであってけして自分をうらんだりしないてほしいと言う事を話しなどにして世に広めたいと思います。なせそう言う事を話にしようとした 理は、私自身が病気になりですがこの病気をきっかけにして自分の人生が変ったからです。もともと自分は人つきあいが悪くしまいにはうつとなって  しまい人生がやになったことがありましたですが病気になり入院しそこで病院の先生がこんな自分にけんめいになおしてくれようとするすがたに心を  うたれ人生はそまつにできないと思いましたそして病気はよくなりよい方行へむかいましたそしてなぜ自分はなおり今在存するかお考え始めましたこれも運命なのか何かの意志なのかそう思いました。

10代 : フリーター                                                               私の夢は、どこに行っても果物の木や野菜が植えられていて、もっと自然がたくさんある地球に住みたいです。私は昔から自然や果物といった物が好きです。しかし、今どんどん工業化されビルが建ち、地面には土が無くなりコンクリートで固められ、どんどん自然が壊され、さらに都市熱や二酸化炭素の排出上昇でさらに温暖化と悪循環になっています。しかも、今度は食料までもバイオエネルギーという形でエネルギーにしてしまっています。生物にとって一番大切なのは、食料です。その一番大切な食料を食べるという形で使うのではなく、機械の燃料にしてしまっているというのです。このまま人間が変わらなくいけば、人間も全生物も地球すらも壊れてしまうのではないかと思っています。私も含めてですが、人間はもっと自然に対して意識を変えるべきです。しかし、化学が発達して便利になっていると言うのが、私はこの頃をそうは思えなくなりました。病気など本来あまりならないように人間の体は出来ていると思います。化学が発達しているのに病気の患者が増えるばかり、これはおかしいと思います。私は自然には癒す力があると思います。人間もです。そもそも人間だけが、未来を心配しています。他の生物は「今」を精一杯生きています。人間が心配するのは金や法律などがないと安心して生活出来なくなっている世の中だからと思います。そんなものなくても安心して生活するには、もっと愛を皆持って、皆で食べ物を作るなどスローライフにすれば、自然も増え温暖化は抑えられ、もちろん戦争は無くなり、国境さえもなくなるかもしれません。そうなってくれば、どこの道を歩いても自然が、食べ物がと私の夢になります。そもそも人間にとって必要な物は全て自然の中にあると思います。

10代 : 高校生                                                               「自然環境・野生動物保護」に近い仕事がしたいと思い、高校へ進学したけれど、体調不良が続くにつれて夢をみることもなくなり、進路を決めることが嫌でたまらなかった。どうでも良いと気持ちが沈んだ毎日で、私は太鼓に出逢い、この環境に居たいと思った。いつもささえられてばかりで何もできなくて、何かしたいと思うのだけれど、力になれない。そんな私に唯一、残されていて人のためにできることはマッサージやテーピングである。中学の頃には、休み時間中にマッサージをしたり、高校では部員がよくケガをして体を痛めていたので図書館で整体に関する本をよく読んでいた。人のしくみが面白いと思う。誰かの為に自分の時間を割ることは、今では自分自身を振り返るきっかけと、知識を与えられたようなものだ。それゆえ、今こうして、見失っていた、やりたいことがわかったのだと思う。私は、太鼓を通じて得た環境の中で、もっと深い所でつながっていたいと思った。やはり支えられる側ではあるけど、いつかは逆に支えて力になりたい、その人達の笑顔を守れるようになりたい。頼られることは、とても大変であり、何より素敵なことだと思う。必ず人につきまとう体調不良。自分自身が良くなることも大切であるけれど、それ以上に、大切だと思える暖かさを失うことの方が恐いから。私は、私を支えてくれている人達のの苦しんだり辛そうな顔を見たくないから、やっと見つけた私に出来ること。自分の好きな分野で、人のために何かできること。そして、笑顔でいてくれること。私は大切な人達を支える側になりたい。いつまでも笑顔でいて欲しいと思い、願うから。夢というには小さくてずれた考えかもしれないけれど、支えたい。それが私の夢である。そして、その最初の大きな一歩は、中医学を学ぶことで踏み出していけるのではないかと考え、思う。

20代 : フリーター                                                                私の夢を、職種で述べるのが自分でもまだ解らないのですが、民間療法や薬草のプロとして手当てすることです。幼い頃、近所に住む薬草に詳しい魔女の ようなおばあさんがいました。遊んでケガをしたり、体調が悪い時はいつもそのおばあさんが庭にある草木や、家の中にたくさんのある漢方のようなもので治療してくれました。もう亡くなって10年以上経ちますが、私の中でおばあさんは健康的で肌も美しく、自然界の知恵に富んだ素晴らしい人として今も 尊敬しています。憧れていたのです。高校卒業間近、進路には悩んだのですが、その頃の夢は大学より何より世界を知りたいという思いがあり、アジア  6ヶ国の長旅に出ました。約1年半の旅の終末に、インドにて謎の感染症にかかり起き上がれない程の病気になってしまいました。それから帰国して、日本で半年間の入院生活を送りました。退院後、弱った身体や精神のケアをするのに、漢方薬局へ通ったりマッサージを受けて、私が次はケアをしてあげる番だと決心しました。長くかかった病で気力を失いかけていた私に、一番勇気や夢を与えてくれたのは、こうなりたいと思えるような人々に出会う事が出来たからだと思っています。それから私は整体治療院に勤め始め、自然療法のプロを目指すと決めたので、独学で勉強をしています。自信を持ちたい、そう思う自分のためにも探求してゆきたいです。将来的には、自分で自然療法の治療院、店を持つことを目標にして進んでゆこうと考えています。

20代 : 鍼灸師                                                                私にとっての「中医学」、それは一生続けていくものだと考える。元々は対動物にと中医学を学び始めたのだが、中医の深い考えや患者さんとの触れ合いの中に、自然と人対になっていた。一度、自分の治療に迷い、現場を離れたこともあったが、「自分には鍼灸しかできない」という結論に到り、今では技術の向上や幅をもたせるべく、日々勤しんでいる。そして、いずれはNGOに参加し、鍼灸・指鍼を伝導すること、余生は実家で日がな一日、鍼をしたり遊ぶのだと確信している。そのため、私にとっての中医学は一生をかけて学び、続けていくもの」だと考える。

20代 : 講師                                                                私と中医学の出会いは高1の時だった。その時、武道に興味を持って内功に辿り着いた。宗教を持っていた私には非物理的存在を信じていたのに、身体からエネルギーのようなものを発することに対して不思議に思った。しかし、少し内功の様々な方法に付いて読んだりすると、内功というものはアニメで見える発気と違うと認識できた。そもそも「気」の物理的力を求めると、無形物ではなくなる。この経験によって、発展ことより自分の気を養うことに努力し始めた。この「身心養生」は、武道の考えと離れて医学への寄り道してしまった。十代の後半から始めた気功自習は色々な形で大学院の時代まで続く。これが始まった頃英語しかできなくてできるだけ気功とそれの様々な表明についての本を収集して理解できたものを吸収と自習して自分の気に出会えた。ハーバード大学で日本医史学を研究していた時、指導教養の紹介で日本医史学の専門家にお目にかかり、この教授は私の気の「圧力」を見とめて下さった。それによって、日本に就職した時、その教授の紹介で気功塾に行ってみた。しかし、これは気功を深く理解するより養生運動に近いものだった。残念な気持ちで、二度と行かなかった。そして東京大学に行く決心して中医学の勉強の道に次のように進んだ。ハーバードに居た頃中医学を深く学びたくても、手も足も分からない状態だった。でも、東京大学で医学ではない研究をしようとしても、心はやはり東洋医学に向かっているままであり、本格的に中医に面を向って勉強する〇〇ができて、気功達人の道に入ることを決めた。

20代 : 客室乗務員                                                              私の好きな言葉は「素直」です。小さな子供は誰から見ても素直でかわいいと思いますが、大人になるにつれて忘れていってしまったり、失くしてしまったりするものだと思います。素直に人の教えを乞う。素直に自分の誤ちを認める。素直な心というのは、自分のプライドや見栄等に惑わされずに、開かれた心で人と接する時に自分の本心を隠して話をしたりすると、相手は本当に心を開いてくれないと思います。なので私は普段から誰に対しても裏表のないように接していきたいと思っていますし、自分のできる範囲でそのように接しています。今、私達が生きている時代というのは、人々が皆、自分のことばかりを考え、人の心に立ち入る事を避け、人と人とのつきあい方が希薄になっていると思います。しかしこういう時代であるからこそ、素直さというのは人とのつながりを深める大事な言葉だと思います。私はこの素直な気持ちを持って生涯の友人、仲間を作っていきたいと思います。私が整体の道を志したのは、自分自身が病気になり、つらい思いをしたので、私のような思いをする人が少しでも少なくなって欲しいという思いからでした。私が整体を一生の仕事としてやっていけるのなら、素直で開かれた心で患者さんと接し、体だけでなく心もいやしてあげられるような人間になりたいと思います。

30代 : エステティシャン                                                           中医学という言葉は、今まであまり知りませんでした。最近になって陰陽五行説とか、ツボだとかのセミナーや勉強会に行くようになり、浅くですが勉強 していくうちに、もっと深く勉強したくなりました。以前は、ツボとか経絡とかそんなに、興味がなかったのですが、少し勉強してやってみると、とても 効果があったり、ツボを意識してやったわけではないけど、お客様に「腰痛がよくなった」と言われ、後で調べてみると、腰痛のツボをしっかりやって いたからだということがわかり、本当にすごい!と思いました。ネットでいろいろ調べていくうちに、中医学にたどり着き、内容をみると、とても興味深いものばかりで、わくわくしました。これから、3年間かけて、中医学を勉強できるということは、とても幸せで、しっかり勉強して、本当に、その勉強を 自分で生かせたら、とても、たくさんのお客様や、家族、身近な人を、今よりもっと健康で美しく生き生きとしてもらえるお手伝いができるのではないかと思っています。どんな勉強でも、習っただけで、終わったらできるようになっていたいというものではないと思います。これたけのお金と時間をかける  のだから、絶対に、身につけ、これからに最大限生かせるよう頑張っていきたいと思っております。勉強は自分との戦い、自分に負けないようしっかり  目的意識をもってやり遂げます。

30代 : 公務員                                                                私が中医学と接する事になったのは約8年前の事です。地元の漢方美顔エステに2週間に一度通って間もない頃、普段は生理が定期的に来ていたのが2ヶ月こなくなり、私はこない方が楽だからほおっておいたのですが、美顔の先生が整体を受けてみた方が良いと勧められたのがきっかけでした。受けてみてとても驚いたのですが、触っただけで体重、合わない食物などずばり当てられ、しかも翌日にはちゃんと生理も来ました。それからずっと中医学に興味を持ち、ずっと学びたいと思いながら今日に至りました。今現在、なんとか学べる環境になり、インターネットで御校を拝見し、体験入学した段階で、ここならきっと頑張ればいろいろな知識と技術が学べると思いました。私が体験入学で授けた授業は解剖学で、初心者の私には難しかったのですが、この授業で血液の仕組など改めて学び、整体のツボもこういったところから繋がるのだと実感しました。ただ技術だけを学ぶのではなく、体の仕組みを良く理解した上でやるのでは全然違うと思います。昔に経験した整体の先生、現在も通っている美顔の先生も中医学の知識と技術を持っているからいろんな人が満足する施術をしていると思います。私の希望は主に美顔エステの仕事をしたいと考えておりますが、美顔は単なる表面の施術だけではダメだと思っております。美しさはやはり体の事を理解し、体の内からきれいではないと外側からいるらきれいにしても、本当に美しくなれないです。現在いろいろなエステや最新医療の機械などありますが、かなり高額ですし、常にお金をかけてやっていかないと保っていくのが、難しいです。私は娘を数年母子家庭で育てていき、でも美しくなりたいとずっと心にあり、こういった高いエステや機械など受ける事が出来ませんでした。しかし、中国漢方エステと出会ってから、高額なお金をつかうことなく、体や肌のトラブルもだいぶよくなりました。この8年間の漢方美顔や中国整体の経験から、私自身での手で出来る様になりたいと強く思っております。4月から御校で一生懸命学び、少しでも多くの人を喜ばせてあげられるエステティシャンになりたいと思います。

30代 : 主婦                                                                  私が中医学と出会ったのは、香港で暮らしていた時に「日本人のための中医学講座」を受講した事がきっかけです。香港を始めとする中国では生活の中で日常的に漢方が取り入れられている為、私も中医学や漢方についてもっと深く学んでみたいと思い、講座を受講する事にしました。実際に学んでみると中医学の世界は大変奥が深く、講座で学んだ基礎よりももっと深い勉強をしてみたいと思うようになりました。また中医学基礎の次に受講した同じく「日本人のための薬膳講座」でも更てに専門的に勉強ををしてみたいという気持ちを強く感じました。ですが、それ以上に専門的な勉強をするにあたってはやはり言語の面でのハードルが高く、現実では実現する事が叶いませんでした。色々調べた結果、日本でも中医学について学べる通信講座や学校がある事が分かったので、是非日本に帰国したら中医学や薬膳について学び、中医師として働きたいと思いました。特に薬膳に関しては健康の基本はやはり食べる事であるにも関わらず多くの人は体にとってよい食べものよりも、体に害のある食べ物を選んで食べている事で病気を招いているケースが非常に多い為、正しい知識を身につけて、病気の人たちが健康を取り戻すお手伝いをしたいと思う様になりました。香港で暮らす以前は西洋医学についてあまり疑問を持つ事なく生活していましたが、香港で中医学の考えに触れて、中医学をより人間らしい医学だと感じる様になりました。これから中医学の勉強を始められる事をとても楽しみにしています。

30代 : 役者                                                                 私は、人の笑顔を見るのが好きです。長年、アルバイトをしながら、収入的には全く望めないこの演劇界に身を置いて、舞台に立って来たのもその理由からです。喜劇、悲劇、不条理劇、色々なジャンルの演劇に今まで参加して来ました。どの世界でも同じですが、演劇界もまた、他と同様に厳しい世界です。お客様から料金をいただき、一人でも多く満足して帰っていただくには、日々、厳しい稽古を積んでいる事が重要です。ただ「芝居が好き」というだけや、自分自身が楽な部分で練習をしているだけでは、当り前ですが全く成り立たない世界です。それだけに、観に来てくれたお客様が、「良かったよ。」、「楽しかったよ。」と言ってくれたその時の言葉と笑顔が、自分自身にいつも大きなエネルギーを与えてくれました。今でも心に残っているのは、「今日一日の仕事の疲れが吹き飛ぶ程、面白かったよ。」という言葉をもらった時です。私はこういった精神はどの職種にも当てはまると思います。これからも私は、道は違えど、一人でも多くの人の喜びに対して全力を注ぎ、それを直に感じ取れる仕事を続けていくのが、私の夢です。

40代 : 看護師                                                                人生において夢を持つということは、生きる力を形に表す一つの方法だと思う。また、生きる心の豊かさがなければ、夢を育んでいくこともできない   だろう。夢とは、安らぎや温かさから生まれる、心地よいと感じる小さなかけらを集め、膨らませていくものであり、長い年月を費やして核とした形を  作り上げていくものではないかと、私は思っている。私の幼いころからの夢は、すでに叶えられ一つの形にすることができた。けれども、叶えたかった  次の夢は、無残にも崩れ去ってしまい、その時点から、私は夢を見ることも、積極的に生きるということもやめてしまった。叶えられた夢を頼りに、もがき苦しんでも、次への力が沸いてこない。けれど、無気力・無関心・無夢の中であっても、人は食べることや眠ることを必要とする。人として生きようと  する基本的な欲求が、少しずつ満たされ嬉しさや楽しさなどから受ける夢のかけらを増やすことで、私は生きる力を取り戻せたと思っている。そして、  生きることに向き合い、将来を見据える中で、ぼんやりとではあるけれど、また次の夢の輪郭を心に描くことができたと実感している。今私は、人生   三つ目の夢を追いかけ始めた。自然や人の持てる力の魅力に引かれ、夢のかけらを集めている。そのかけらを膨らませ、夢の輪郭を確かなものにして   いくことが、これからの私の夢であり、時間をかけてじっくりと、生きる糧にできるくらい大きく強いものにしていきたいと思っている。 

40代 : パート社員                                                             今まで自分の歩んできた道のりを振り返りますと色々なことがありました。20代の中ばで結構をして二子を授かり、その子供たちも、来年、成人を向えます。現在は、ホームセンターで、ペット用品の売場管理の仕事をさせていただいておりますが体力の続く限りその仕事をさせていただけることは有難いこととは思いますが、何かもっと違うことを探しておりました。やはり、19歳の頃のこれからどうしよう、どういうふうに生きていこうかと思い悩んでいた頃の思いに結局、戻っていくのですね。結局、そういうふうなことに興味を持っている限りは、本屋さんに立ち寄っても、そういった関係性のあるものを選んでいたように思います。そして、あの頃は、果たせなかったけれども、今、こうして貴校を訪問してこのような場を与えていただけることは、私にとっては本当に不思議でなりませんが、今、この私の人生のこの時期に情熱を持って、中医学を学び、まずは自分の身近なお世話になっている人たちを救ってあげられることができたら私の夢の一歩は完成です。今の時代、原因不明の病が多いけれども、ストレス社会、この会社の」しくみや、自然破壊などの環境汚染などで、少しづつ体調をくずしてしまうこの世の中において、先人の知恵を学び、広めていくことは、とても重要なことと思いますので、私にぜひ、学ばせて下さい。今日、このような機会を私に与えて下さいまして、どうもありがとうがざいました。

40代 : 公認会計士                                                                学生時代、私の夢はキャリアウーマンになることでした。大学を卒業した年、男女雇用機会均等法が施行されて、性差の差別はなくなりました。総合職と呼ばれる全く男女差のない職種に多くの友人も採用されました。私も公認会計士となり社会で活躍したいと思っていました。しかし、二十六歳の年、総合職の友人2人が、相次いでがんで亡くなりました。うち1人は親友で、金融機関で早朝から深夜まで、働いていました。私は励ますことすらできない自分に無力感を感じました。しかし、育児をしながら公認会計士として働く日々は、あっという間で、次第に友人達のことを思いつめる時間も少なくなりました。私が心と健康のことを考えるようになったのは、次男が産まれた時でした。働きながら、切迫流産、切迫早産という危機を乗り越えようやく産まれた次男は、ダウン症で、重い心臓病をかかえていました。心臓にはいくつもの穴があいていて、体全体に酸素がいきわたらない状態でした。産後集中治療室に入院する息子を祈るような思いで、見守っていました。私は染色体や健康に関する書籍を読みあさりました。その後通常の環境で生活できるようになり、退院しましたが、大きくあいた穴は、小学校就学までには手術が必要だと言われていました。祈ることしかできない私は、何かの本に書いてあったように、息子の胸に手を当てて、「ほら、もう治っちゃったよ。」と毎晩毎晩繰り返しました。三歳の時、心臓の穴が完全になくなっていることが確認されました。私は祈る思いとともに信念のエネルギーのようなものを確信しました。ダウン症の寿命は短いといわれていますが、少しでも健康で長生きして欲しいと思い、ますます健康本に熱中しました。中でも自律神経のバランスをとるということが、大切だということがわかりました。しかし、どうやって自律神経のバランスをとればいいのか、ということについては、手軽な方法はありません。私も、私の職場でも、ストレスによる自律神経のアンバランスから体調が思わしくない人がたくさんいます。私の甥も食物アレルギーで、何も食べられない状態が続いています。これから、私は中医学を勉強して、体のメカニズム、その症状がおこる原因がわかるようになって、気功や漢方で家族や周りの人たちの役に立ちたいと考えています。今の私の夢は、困っている人を少しでも、助けてあげることができるようになりたいということです。

40代 : 医師                                                                 私が好きな言葉は感謝である。とは言っても、この感謝の心が自分に身についているわけではない。どちらかと言えば、今までの私はこの感謝の気持ちに欠けていたのではないかとさえ言える。戦後の日本人一般に欠けているのが感謝する心ではなかろうか。米軍が日本を占領し、形だけの民主主義を押しつけていったものの、本当の民主主義は根づかず(自分の責任をはたさず)、自分の要求ばかりを追求するようになった。人間は皆平等であり、他人が自分より物や金を持っていたり幸福であることに我慢ができない狭量な心が世の中を支配しているように思える。日本は世界で最も成功した社会主義国家であると言われているのも、このような日本人特有の偏狭な心があってこそ成功したのではないかと思われる。高額所得者に対する課税が厳しいのも、旧大蔵官僚の金持ちに対するひがみ根性が強いのが主因と言われている。私自身を振り返ってみれば、実に感謝の心に欠けてきた事に気づかされる。生来、胃腸が虚弱で、性格が明るくないのを気にしていたが、これを補って余りあるほどのよい点をさずかって生まれてきたことに感謝していない。また、両親に反抗ばかりして育ってきたが、成人になるまで育てることの大変さに対する感謝の心に欠けていた。私には家族はいないが、妹の子育てを見ていると、そのところがよく理解できるようになった。戦後になり、道徳の授業がなくなったり、宗教が重んじられなくなったことが、感謝の心をを失わせるのに拍車をかけたのであろう。欲望・愚痴・怒りの心は仏教で避けるべき3つの心の持ち方と言われている。他人を見ることなく、ただ自分が生かされていることに感謝することができれば、この3つの心に至ることなく、少しでもお釈迦様の境地に近づくことができるのではないだろうか。

50代 : 主婦                                                                 私自身が受けた医療にはあまり中医学は縁がありませんでした。でも、家族には、2回大きな出来事があります。1つは、息子の受けた漢方医療です。  息子は、アレルギー体質で、小さな頃からアトピー性皮膚炎がありました。ぬり薬などを処方しながらしのいできましたが、小学4年生時に顔の方にも  広がってしまいました。気にしない様にといっても、なかなか難しく、友人の情報で、良い先生が荻くぼにいらっしゃるということで、そちらで漢方を  処方していただきました。すると、なんと2~3回飲むうちにパーっとよくなってしまいました。煎じ薬は、本当にまずく、色もドブネズミ色でしたが、 息子はよくなるのがうれしかった様でちゃんと飲んでいました。2つめは、夫の五十肩です。何度か針治療で少しずつ良くなっていましたが、その針治療 さることながら、指針をしていただいた後、びっくりするほど痛みがなくなり、手も上がり可動域が広がりました。以上が中医学の奥の深さを感じた2つの症例です。中医学が私にも少しでも、理解することができて、また家族や知人に教えてあげることができる様になればいいと思い、この学校で学びたいと 考えています。よろしくお願い致します。

50代 : 会社員                                                               「私の好きな言葉」というよりも、今まで心掛けてきた目標のような言葉があります。それは「ヤル気と思いやり」です。何事にも前向きに取り組んでいく事、失敗しても、いつまでも落ち込んでいない事、そういう気持ちで仕事もしています。そして、仕事以外でも、興味のあるものには、できる範囲で挑戦してきました。新しい事を始める時のワクワクした気持ちと、また新たに知り合える人たちがあり、とても楽しいからです。現在の仕事も、毎日いろいろな人たちとお話ができる仕事で、時には、いやな事もありますが、楽しく働いています。また人と接して生きていく以上は、人にやさしく思いやりを持っていく事もとても大切なことだと思っています。親切の押売りではない、相手の気持ちのわかる人間になっていきたいと思っています。

50代 : 僧侶                                                                 常楽我浄(じょうらくがじょう)この言葉は私が一番好きな言葉でもあり、一番自分自身にもいい聞かせている言葉でもあります。自分自身が、浄まっていれば常に日々楽しい。私は、お寺を妻(尼僧、住職)と共に開山しています。皆さん、お参りや遊びに来られて話を色々なさってゆきます。一通りお話しをした後、仏様の前で話しをしている自分に気付き、それまで自分の身内の悩みや、他人の悪口など様々な事を言っている事に、反省する自分にもどっていきます。その時に暗い顔から、明るい顔に戻るのを見ていると、とても美しいのです。帰路に着かれる時は、すがすがしく、楽しそうに帰っていきます。これこそ自分自身が浄まり、楽しくなったのでしょう。何事においても、常に楽しいのは、自分が浄まっていれば、相手も喜び、自分も楽しいと思います。簡単な説明ですが以上です。

50代 : 会社員                                                                いつのころからか、私は「気」について興味を持つようになりました。近くの公園で毎朝やっている太極拳の練習に偶然参加することになり、徐々に大気中の「気」の流れを感じるようになり、「気」に対する興味は益々強くなりました。さらに昨年の10月に右肩を痛めてから、右の腕を上げることが出来なかったのですが、太極拳の練習を毎朝続けているうちに自然に完治しました。また、ハンドヒーリングのクラスの受講後から、手のひらがビリビリするようになり、この不思議な感覚はそれ以来ずっと感じています。こうした経験を通じて、「気」について学びたいという思いが強まり、同時に、「気」を活用した中医学にも興味を持つようになりました。西洋医学では、認められた疾患を肉体的な観点のみから診察して治療を行いますが、中医学では、疾患を肉体的、心理的及び精神的な観点、すなわち総合的に見据えて治療を行います。中医学の病に対する総合的なアプローチは西洋医学とは異なっていることから、西洋医学で足りない側面を中医学で補うことで、医療の質を向上することが出来るのではないかと考えます。以上より、御校で(気功)を中心に中医学を学び、病の治療及び人類のQOLの向上に貢献できる活動に関わりたいと思います。

60代 : 無職                                                                    なぜ私がこの学校で勉強しようかと思ったかについて述べてみたい。まずはマッサージが好きということ。マッサージを受けるのも、マッサージをする (するといってもマネゴトだが)ことも好きで楽しい。次に中医学という学問に興味があること。中国数千年の歴史の中で独特の発展を遂げた中医学と   いうものが西洋医学との対比において人間にやさしいと言うか、自然の理にかなった健康維持方法を勉強することにより、自分の健康のみならず色々な人達にそれを伝え喜んで欲しいと考えている。会社を退職しこれから自由な時間が増えることから、ひとつの趣味としてマッサージを含む中医学を身につけたいと考えています。開業することは考えておらず、知的好奇心を満足させること、身につけた技術がボランティアなど人の役に立つ活動に利用できればと思っています。  以上

60代 : 会社員                                                                この6月末で定年退職になる。35年間、会社という組織の中で、その組織によりかかって生活をしてきたことになる。組織の中にいる間は、その組織の目的や価値感、ルールによって束縛される反面、そのルールに従って努力していければ、生活は安定し、自分も家族も守られる。そのことに慣れ、たいした疑問を抱くこともなくなっていた。ところが、60歳になって、会社から卒業することになった。その日が来ることは、会社に入ったときから、ずっと分かっていた。分かってはいたが、そのとき自分がどうするかを決めていたかというと、そうではなかった。あらためて手遅れ型の自分に驚いた。驚いているだけでは話にならない。どうするかを真剣に考えなければならない。何もすることなく毎日が過ぎていくことには、自分自身が耐えられない。グルグルと思考が空まわりした。そいうとき、ふと浮かぶ言葉というのがある。今回は”仕事は人類が考え出した最高の遊びである”という言葉だ。誰の言葉かは忘れてしまったが、自他ともに認める仕事人間だった私は、その言葉を読んだ瞬間、確かにそうだなあと、妙に感心した記憶がある。”就職と就社を区別すべし”ともよく言われる。在職中に、自分の会社が他の会社に吸収合併された経験をした私は、あらためて就職の大切さを思う。この2つの言葉が鍵だった。次の仕事をしよう。どこか良い会社はないかと探すのではなく、手に職をつけて、身をたてよう。そう頭を整理すると、自ずとやろうかなと思うことは見えてくる。過去に何度もお世話になった”整体”の技術を身につけることができるのであれば、少しは自分のまわりの人たちの役に立つだろう。定年がない仕事であれば、精進するのをやめることもないだろう。仕事をして、努力している間は、ボケルことも少ないだろう。考えてみれば、自分にぴったりではないか。それが本日、ここにいて、この試験を受けている理由である。残りの人生で、何年働くことができるかは不明である。しかし、将来のために、ありがたいことに、妻もそうだと賛成してくれた。めげることなく、やりとげたいと思っている。

60代 : 無職                                                                  私は40年程前に交通事故で頸椎が多少ずれています。当時(今も変わらないが)レントゲンでは頸椎のズレが解らず不安な生活をしていました。この時北海道の故郷で整体をやっている人がいるとの事で受診しました。整体は初めてなので不安がありましたが1週間受診していると症状がなくなり正常な状態になり1ヶ月程で症状がなくなり仕事に復帰できました。この時の体験が整体との始まりです。中医は中国で認定された整体との事です。日本では未認定ですが現実には社会の中では認められています。私は今65才ですがこの整体を学び自分自身の健康管理及び何らかの形で社会貢献できればと思って入学する決心をしました。

60代 : 日本語講師ボランティア                                                       私は今、65歳です。5年前、夫が停年になった時、子育ても終わり主婦にあけくれたいた人生に何か残るものをと思い、一つの区ぎりとして、中国留学を決めました。中国の黒竜江省ハルビンにある黒龍江大学に短期の語学留学をしました。6ヶ月の間、若い人達と一緒に勉強したことはこれからの自分の老後にかなり刺激になったと思います。この時にある若者が、自分は整体師なので、中国語を学んで、更なる勉強をし、中国で働きたいと云っていたことが心に残っていました。私は本来丈夫ですので、交通事故で怪我ををした以外、病気については人ごとと思っていました。しかし、年には勝てません。人間はいつか死にます。いつ、いかなる時も恐れずに死を迎え入れれば—と思うにつけ、いつ迄も人として、健康で美しくありたいと思っています。自分が健康である限り、病んでいる人に少しでも夢や希望が与えられたら本当に素晴らしいことと思います。この年にして、少しは人のお役に立てる仕事が出来るだろうかと考えていました時、ハルビンで出合った若者の言葉を思い出しました。入学出来れば、私自身の夢として、中医学を学び、隣人に夢と希望を与えたいと大きな希をもったところです。        

70代 : 無職                                                                                      小生は上海に生まれた男でありまして日夲にその後戦争で来ましたが、父が大連に残りましたので、小学校の夏休みを利用して船で渡った所、その船が沈沒して危人助かったとえう圣験があります。今回、身体の具合のことで大変にお世話になりたら「年は70才を超えたけれど一生懸命やってみたい。そして 中国に行ってみたい」と思います。何卆 ご指導の程、よろしくお願い致します。

70代 : 主婦                                                                 これまでは”中医学”とえう言葉を知りませんでした。31才の時 自動車事故に会い一命をとりとめから、後遺症に苦しみ 指圧灸 あんま 鍼 等々 治療を受けましたが全治には至りませんでした。今より半世紀も前にも日本国内で中医学とえう言葉が広まっていたかどうかわかりませんが 一つ一つが単独施術の様なために この治療は自分に合うか合わないかで次々と替えた有様です。此の度 この年令になった今 中医学の言葉が目にふれ耳に入る様になりました。健康志向の雑誌や新聞 テレビ 等で知り又パソコンで検さくして 専門に学べる学校のある所を知りました。早速入学させて頂き学習することで 私自身の身体のどこが悪くどうすればよくなるかを知り回復する様子をみたいし楽しみでも有ります。又孫や妹も花粉症に苦しんでいますし、孫に至っては良性と云われるも 骨のガンで2度手術して居ります。現在も車椅子 30代後半からは確実に車椅子とのこと。身体の発育と共に体重が脚にかかる付加は大きくなり 痛みも大きくなると、祖母の私が元気であるうちは心をかけ 助けになってやれますが年には限界があります。ついでながら”私の夢”を申し上げます なら 日々学んだことを家に帰り孫を相手に復習し 身近に感じさせ興味を持ち「自分に必要かもしれない」と思える様になってほしいと願っています。そして高校卒業のあかつきには大学に通いながらでも 中医学 当校に入学させて頂き しっかり勉強して 身体障害者等と落ち込まず悲感することなく 立派な大人になってほしいと願っています。